ひとり映画日記2

映画・本・イギリス(アメブロ『ひとり映画日記』から引っ越し

対話、そしてゆさぶり 2024.12.15

 今年の渋谷ジェンダー映画祭のテーマは「対話」だった。今年で3回目になる映画祭。去年初めて行って、『サラリーマン』を観た。日本の過労を追ったドキュメンタリーで、気が滅入るような現実が映し出されていた.....。

渋谷ジェンダー映画祭ポスター

 今年は『ぼくたちの哲学教室』を観た。これもドキュメンタリーで、出てくる学校の校長先生はとっっても忙しそうだけれど、自分を押し殺してはおらず活き活きしているように見えた。

 北アイルランドベルファストカトリックプロテスタントの対立が続き、自殺率やドラッグ依存症率の高さといった問題を抱えている。そこのあるホーリークロス男子小学校では、哲学の授業があり、生徒と校長先生はじめ教師たちが対話を重ね、学んでいく。自殺やドラッグで急に亡くなる生徒も多く、対立がより激しかった親世代の影響もあり暴力をやめられない生徒もいる。「対話」が大事とは言うけれど、「対話」はものすごく力のいることだ。相手の言うことを聴き、問いかけるというのはエネルギーを必要とする。

 

 この映画を観ていると、自分のここ最近の「対話」への態度を振り返らざるを得ない。例えば参加した読書会で、それは性差別ではないか?と感じる発言をした男性がいて、私は不愉快になった。読んでいるのがフェミニズムの本だったこともあり、これ読んでその感想が出てくるのか、と正直に言えばがっかりした。私の不機嫌さは顔に出ていたと思う。でも、あとになって、それは確かにその人が感じたことなのだから、どうしてそう思ったのか、人生でどんな経験があったのか聞いてみれば良かったと思った。この映画でも、親に「殴られたらやり返せ」と言われた生徒に対し、先生は「お父さんはどうしてそう思うのか聞くんだ」と諭す。私が関わった大人の何人かは、自分より弱い存在に質問されるのを嫌った(「口答え」だと思うらしい)ので、誰とでも対話が成立するかといえばそうでもなかった。そんな経験が積み重なって、自分から扉を閉めることが増えてしまっていた。

渋谷のビル街

 映画のあと哲学対話の時間があり、「やられたらやり返してもいいのか」をテーマに話をした。人の話をじっと聴き、簡単には結論づけられない問いに対し自分の感想を言うのは結構難しい。もどかしい。人に聞く前に、まず自分に聞かないと言葉が出てこない。あと、「いいことを言おう」と思わないで、素直に思ったままを言うことが意外とできない。

 手探りの対話が新鮮で、入り浸っていたツイッター(もうやめたけど)の対極にあることをしているように感じた。「それってあなたの感想ですよね?」と「論破」するカルチャーから、もっと豊かなものに変えていかないとどんどん先細りになっていくと思う。でも対話は時間がかかるものだから、早く、もっと早くの世界の中で埋もれてしまいそうになる。どうしたらいいのでしょうね?

対話をすると他者に揺さぶられ、時に居心地の悪い思いもする。腹が立つこともある。違う世界が見えて感動することもある。「他者」にはいつも圧倒される。