ひとり映画日記2

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ひとはなぜひとがたを作るのか?展

 横浜ウォーキングをしていた。

 横浜人形の家で「ひとはなぜひとがたを作るのか」という展覧会をやっている。去年の松濤美術館の「ボーダーレス・ドールズ」展に続き、人形がテーマということで行ってきた。

ひとはなぜひとがたをつくるのかポスター

 横浜人形の家では、常設展示で「青い目の人形」(かつてアメリカから親善として贈られたもの)や世界各地の人形を飾っている。それらを一通り見て、特別展へ。土偶に始まり現代の人形作家やアクスタも展示されていた。規模自体は小さいけれど、とても充実していた。人形の、そこにいるだけでこちらに迫ってくる何か。人間ではないし、生きてはいない(と私は思う)けれど、「死んでいる」とも違う、何か心に引っかかる感じにざわざわする。もともと私の人形への興味は、なぜ人形は女性の姿形をしたものが多いのかという疑問から始まっているが、今ではこの「ざわざわ」が好きで見てしまう。

 私は修士課程で、人形を扱った文学をテーマに論文を書き、女性の客体化という面から批判的に考察した。よく書けている部分もあるけれど、見方や考え方が稚拙だったと思う。「女性の客体化」というテーマ自体をもっと掘り下げて書かないといけなかった。家族や男性中心的な社会を問う人形を作っている、工藤千尋土井典の作品を見ながら考えていた。工藤千尋の人形は「ボーダーレス・ドールズ」展で初めて見て、それから気になっている。身体や家族制度への違和感を表した人形から目が離せない。

 今回は、高橋操という作家の人形を好きになった。とぼけた表情でふっくらした体型の天使や金魚がかわいいのだ。天使は見られても「ふーん」といった感じでこちらを見返しているようで、なんだかおかしかった。

 世界各地で人形が作られ、今も作られ続けていることが不思議で面白い。人形は「モノ」だけれどモノとも言い切れない。展示を見ている人は「今にも動き出しそう」と言っていたし、特別展の最初の言葉にも「人形が怖いという来館者の声はよく聞く」とあった。展示されていた土偶のレプリカの一つは、作り主が話し相手にするために作ったものだ。確かに、話しかけたくなるような、話を聞いてくれそうな土偶だった。人形って何なのだろう。なんで人形を作るのだろう。答えは出ないまま。

 帰りの電車では中島らもの『人体模型の夜』を読み終わり、自分の身体はどこまで信用できるのだろうという不思議な感覚に陥った。とてもとても面白い短編集だった。


「ボーダーレス・ドールズ」展は去年の夏にやっていた。

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