ひとり映画日記2

映画・本・イギリス(アメブロ『ひとり映画日記』から引っ越し

中にいるのは人だから

 誰かを批判するときに「○○はバカだ!」「狂っている」などという言い方はしなくなった。最近は、その人や会社の行為に的を絞るようにしている。恥ずかしいことに、前はけっこう人格も否定するような言い回しをしていた。本人にわかるように言ったりSNSに書いたりしたことはないが、家族や友人との会話ではそういう言い方をしていたと思う。

 

 混同されがちだけれど、批判と悪口を言うことは違う。批判はしてはいけないことのように言われるが、当たり前とされていることを疑ったり、差別を指摘したりすることは、陰口をたたくことではない。でも、本当は首相や企業の発言や行動を批判したいのに、「バカ」「おかしい」といった言葉を使ってしまいがちだった。実際、デモでもそうした言葉を耳に/目にしたことはある。

 次第に、存在や人格を否定する言葉が嫌いになった。そうした言葉を吐き出すことで得られる快感はあるのだけれど。きっかけの一つは、コールセンターでアルバイトをしたことだと思う(厳密にはコールセンターではないが、詳しく書くと特定できてしまうかもしれないので「コールセンター」ということにした)。日々、苦情や要望の電話がかかってくる。丁寧に要望を伝えてくれる人もいるが、ただ怒鳴りたいだけではないのかという人もいた。相手のキツい口調に胃がきりきりした。そのとき、ああ、炎上した企業の社員もこんな気分だったのかな、と思った。初めての感覚だった。企業がくだらない広告で炎上するたび、2020年代に入ってなんてバカなことをと思っていた。
そうした企業には抗議の電話やメールが殺到しただろう。炎上の理由が差別発言など、妥当な理由で抗議を受けるのは当たり前だ。でも、対応する社内の人には忸怩たる思いの人もいたと思う。そうした商品や広告を通したのもまた「社内の人」ではあるのだろうが。けれど自分の考えではどうにもできなかったことに対する文句に、対応しなければならなかった人もいたはずだ。だから、特に相手が見るかもしれない場所で発言するときは、行為の批判にして、人格を否定するような言葉は使わないよう気をつけている。「会社」「国家」と考えると巨大なモンスターのように見えるが、中には人がいるんだ。人がやっていることだから変えられるはずだ、ということは慰めだ。