ひとり映画日記2

映画・本・イギリス(アメブロ『ひとり映画日記』から引っ越し

映画『あのこと』

 主人公の学生アンヌが語る「あのこと」。本作は中絶が違法とされていた時代における、一人の女性の体験を克明に描き出す。中絶を望んでも医師は応じてくれないため、「違法」でも処置してくれる者を探すか自分でやるしかない。「安全」な方法ではなく、痛みや生命の危険まで伴う。客席からは息を呑む音にとどまらず、うめき声まで聞こえてきた。私自身も、アンヌが編針で中絶をしようとする場面は自分も針で刺されているかのように身体が震えた。だが決して「見世物」的にはならないのだ。カメラはアンヌの身体を性的なものとして隠し撮るように映したり、露悪的に晒したりはしない。時には距離を取ってアンヌや周りの人たちを映し出し、あるいは彼女の目線とともに動いてアンヌが見たものを観客にも見せる。本作は映像表現であることを活かし、自分の身体がどんどん自分から離れていくことの恐怖や痛み、怒りを観客に味わわせるのだ。原作の小説が「言葉」で行ったことが映像に上手く置き換えられている。 

 

 しかし、「言葉」が重要であることもちゃんと語っている。この映画では、自分の身体を自分の手の内に取り戻すことと自分の言葉を紡ぐことはまっすぐ繋がっているからだ。アンヌの両親の知り合いが彼女に言う「労働者じゃないから手が綺麗ね」という言葉がアンヌの置かれた状況を語り、中絶した女性を診た医師が「中絶」と「流産」のどちらと見なすかで女性のその後が左右される。言葉は時に暴力的でもある。そうした状況のなか、映画の冒頭から、アンヌは授業でもはっきり意見を言える学生として映し出されている。そして最後、中絶を経てやっと学問に集中できる状態に戻れたアンヌは、作家になると宣言するのだ。原作にはないこの場面により、アンヌ/アニー・エルノーが生きのびて、「女性」の身体が軽んじられてきた現実を書き残したことが強調されている。

 映画のラストは、アンヌが試験を受ける場面だ。ひたすらに紙に書きつける姿が自分の身体と言葉を手放さなかった人間として目に焼き付けられる。

 

*前にnoteにも書いた『あのこと』。これは、ある映画雑誌に送ったレビューですが、残念ながら載りませんでした。