「地元」は面白い言葉だと思う。「故郷」ほど大げさでなく、「出身地」ほど無機質でもない。自分が10代を過ごした街を指すには「地元」という言葉がぴったりだ。
地元というと、ショッピングモール、田んぼ、広い道路とでかい駐車場を備えたコンビニが浮かんでくる。「田舎」や「郊外」の景色。愛着がありつつ、早く出たかった10代を思い出し苛立たしくもなる風景だ。
2年ぶりに「地元」に行ってきた。高校の先輩とショッピングモールで待ち合わせた。大手チェーンのショッピングモール。ドーナツ屋はつぶれ、ステーキ屋もいなくなり、でもアニメイトは売り場を拡大していた。
トイレに入ると、なんと生理用品が置いてある。困りごとがあったら相談してくださいと、NPOのカードもついている。10代の時にはなかった。生理用品を置く大学や公共施設は増えてきているけれど、それが地元でも取り組まれていた。落ち合った先輩に「トイレに生理用品があって感動した」と言うと、女性支援に力を入れている人がいて、最近議員にもなったことを教えてくれた。そういう人がおり、議員にも選ばれているんだ。「時代は変わってきた」というけれど、それを肌で感じた。
地元の駅前には歩行者天国がある(今思ったけれど、「歩行者天国」って凄い響きだ)。そこにも、以前はなかった椅子が置かれていたり、路上ライブをしている人がいたり、雰囲気が明るくなっていた。ショッピングモールに負けてデパートがいくつか撤退し、「さびれた」とか「元気がない」とか言われていたのに。
先輩とはカフェで話し、カラオケで歌い倒し、最後にショッピングモールのフードコートに行った。高校生の時にやっていたことをなぞりながら、テストや嫌いな先生のことではなく趣味や仕事の話をしている。
先輩も好きなことをずっと続けていて眩しかった。多分嫌なことも腹立たしいことも沢山あったのだろうけれど、自分が何をしたいかと何をすべきかをわかっていて、堂々としているところが相変わらず格好良い。地元には嫌な思い出もあるけれど、振り返った時に暗いだけの映像として再生されないのは、先輩がいるからだとも言える。
親はというと、相変わらず些細なことで怒り、たいへん不愉快な気分になった。行くたびにもう来ないぞと思うのだが、母のことは好きなのでたまに行ってしまう。
地元に対してもつのは不思議な、複雑な気持ちだ。嫌なことも良いこともあまりに詰まっている。もう一度住みたいとは思わないけれど、誰かに「何もない田舎だ」と言われたら怒るだろう。「田舎は遅れている」「田舎ホラー」なんて言葉を聞くたびに、都会の人間中心の、やや見下したスタンスを感じる。確かに生活は大変だし、女性差別やLGBTQ差別も根強い。でも、「遅れててかわいそう」とか「何もない」と言われるとそれは違うんだと思う(都会だって女性差別は酷いし)。どの街にも生きてきた歴史があり、「田舎の人」と一括りにはできない人間が暮らしてきた。移住する人も、出て行く人も、生まれてから住んでいる人もいる。誰が優れているわけでも劣っているわけでもない。そのことだけは、どこに住んでいても忘れたくない。