ひとり映画日記2

映画・本・イギリス(アメブロ『ひとり映画日記』から引っ越し

歌はジャンプ台 2023.12.31

 短歌(とヒプマイ)にはまったのはオフ会に行ったからだ。6月にツイッターのオフ会に参加し、そこで短歌をする人たちに会い、歌集も買った。なんだか目の前が開けていくようだった。

 数週間後、本屋からの帰り道、月曜日が来るのがあまりに嫌で寂しくて、短歌を詠んでみよう、と思ったのだった。郊外のショッピングモールに寄った帰りで、昔の記憶が次々に蘇ってきたところだった。短歌にすることで辛い出来事が耐えうるものに変わる気がした。すごいすごい、あの出来事もあの記憶も短歌の風船にして飛ばしたらいい。何年も開いていなかったスマホのメモ機能にずっと打ち込んでいた。

 

 とはいえ短歌を好きな理由の一つは、自分が使わない(使えない)一人称で詠んだり、自分が経験していなことを入れたりできることだ。昨日参加した歌会でも、婚約した人として詠んでみた。私は一度も婚約も結婚もしたことはないが、面白い一首になったと思う。さらに歌会では評をもらえる。全く意図していなかった文脈が現れ、歌の世界が広がって面白い。三十一音のなかなら何にでもなれるのかもしれない。コンプレックスも恥も歌にすれば誰かに届くかもしれない。ずっと自由になりたかったが、意外なところに出口があったのだ。私はこの身体を脱いで何者にもなれる。本を読むのも映画を観るのも、自分の身体には限界があるからじゃないかと思う。フィクションはジャンプ台だ。

 

抑圧されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ 

原慎一郎『滑走路』KADOKAWA、2017年

 

 

 

とても好きな、私が初めて買った歌集『滑走路』の最初にある一首。この短歌はずっと私を鼓舞している。

それにしても昨日は、歌会で評した短歌に出てきた有名なミュージシャンのことを全然知らず、恥ずかしかった。今日は次から次へと短歌が浮かんでくるが、これが歌会の効用なのだろうか。