ひとり映画日記2

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死者は別の人なのかも――『トーク・トゥ・ミー』と『異人たちとの夏』

 死んだ人にもう一度会う、死者が「この世」に来る、というストーリーはいくつも存在している。しかし、死んだ人はやはり生きていたときの人とは別人なのかもしれない。映画『トーク・トゥ・ミー』と『異人たちとの夏』を観てそう感じた(以下ネタバレあり)。

 

 『トーク・トゥ・ミー』は遊び半分で「降霊術」をしていた高校生たちが巻き込まれる恐怖を描いたホラー(現在公開中)。主人公のミアは母親を亡くしており、同居する父ともあまり話していない。ある夜、ミアは親友とともにパーティーに出かけ、そこで「降霊術」を体験する。何やら呪文が書き込まれた「手」(クラスメイトによると本物の手らしい)を握り「トーク・トゥ・ミー」と言うと目の前に霊が現れ、「レット・ミー・イン」と言うと霊が憑依する......。体験した人たちの反応を面白がる高校生たち。

 何度目かのチャレンジでミアの親友の弟が試した際、現れたのはミアの母だった。そこでミアはつい憑依を少し延長するように頼んでしまい、それが悲劇の始まりというストーリーだ。ミアが母と話せたときの嬉しそうな顔は胸を打つ。あなたを置いていったわけではない、あなたを思っている、と優しい言葉をかけてくれる母。しかし、それはまやかしであったというオチ。霊が言っていることは嘘で、ミアの母は自死しているのだが、ミアは何が本当かわからなくなっていく。父がそれまで隠していた母の遺書を見せるも、幽霊の「それは嘘だ」という言葉に呑まれ父を刺してしまう。幽霊になった母は本当の母とは違い、母が何を考えていたかはもう知りようがないのだ。それだけに衝撃も大きい。ミアと父がもう少しコミュニケーションを取れていれば、結末は違ったのかもしれない。

 

 『異人たちとの夏』では、ある夏、主人公・原田英雄は自分が12歳のときに亡くなった両親に出会う。優しくて若いままの両親と、40代になった自分。原田は気兼ねしながらも何度も会いに行く。さらに、同じアパートに住む謎めいた女性・ケイと恋に落ちる。面白いのは、英雄はおそらく両親の年齢を超えているはずなのに、3人が段々親子らしく見えてくるところだ。母にご飯をこぼさないでと言われ、父とキャッチボールをする。親よりも大人になってから親と出会い直すファンタジーは、フィクションだから描けることだ。3人の演技も素晴らしい。
 楽しい日々のはずなのに、英雄は段々とやつれていく。そして両親と、ケイとも別れのときがやってくる。3人とも幽霊、「異人」なのだ。やはり、生きていたときの人とはどこか違うのだろう。この時間が続かないと皆分かっていた。最後に英雄が3人の名前を呼ぶところが、3人が確かにいたと示しているようで大事な場面だと思った。

 

 生きている人は亡くなった人とどう向き合えばいいのか。忘れないためにはどうしたらいいのだろう。『マイ・ブロークン・マリコ』に「亡くなった人に会うには生き続けるしかない」という、いいセリフがあった。きっと「同じ人として」会うことはできないのだから、その人の記憶を背負っていくのがいいのかもしれない。でも大事な人だったらなおさら割り切れないだろう。2作品ともホラー/ファンタジーとしても面白いが、亡くなった人、そして今生きて時間を共有している人とどう向き合うか、について示唆をくれたいい映画だった。