ひとり映画日記2

映画・本・イギリス(アメブロ『ひとり映画日記』から引っ越し

自分はいない 2023.09.12

 『白ゆき姫殺人事件』を観て、いやな映画だなあと思いながら寝た。変な夢を見た気がする。本作では、とても美しい女性が殺された事件をきっかけに、その事件を面白半分に追うテレビ局のADやツイッター(なつかしの2010年代のツイッター)ユーザーらが交錯し、「犯人捜し」が激化していく。

 視点が切り替わり、「この人の視点からみると実はこんな風に見えていましたよ」ということが映される。でも嘘をついたりテレビの取材を受けているということに酔って誇張したりと、誰が何を言っているのかわからず混乱する。最後までわからずじまいでとても後味が悪い、意地が悪い!映画としてはとても面白く引き込まれた。

 

 ポスターのキャッチコピーにもなっているように、登場人物の一人が「私は私がわからない」と言う。わからないよな、自分なんて。先週の古本屋めぐりで買った『ブラスト公論』でも、「本当の自分なんてない!」と繰り返し言っている。この本で出てきた、「「自分」なんて関係性のなかで変わるもの」という視点はとても面白かった。思ったことを言えなくて、「本当の自分じゃない」と思っても、その言えない自分もまた「自分」なんだ(言うことを許されないという状況もあるだろうけれど......)。「本当の自分じゃない」とか「自分探し」とかけっこう恥ずかしい言葉だなと思った。

 ただ、こういう映画を観て「人の数だけ真実がある」と結論づけるのには少し危うさも感じる。「被害」に遭ったときに話を信じてもらえないということは起こりやすく、被害者がなんらかの「マイノリティ」ならなおさらだからだ。と自戒をこめつつ思った。