ひとり映画日記2

映画・本・イギリス(アメブロ『ひとり映画日記』から引っ越し

Zineを作った 2023.09.16

 頼んでいたZineが届いた。初めて印刷所に注文し、フォトブックのテンプレートを使ってZineを作ったのだ。手書きでZineを作ったのが今年の2月。大学時代に何度もやってみようとしては、いいものなんて作れないし、面倒くさいしと思って途中で投げ出していた。不思議なことに、学生よりずっと時間がないはずの今の方が作る気力が湧いてきたのだ。

 理由の一つは、「完璧」でないからといって出すのをやめるのをやめようと思ったからだ。noteにも書いたように、「もっと力がついてから出す」という言い訳をやめ、去年からコンテストに応募してみていた。自分に能力なんてないという思いと、でも本当は力があるからやれば評価されるはずという傲慢さはコインの裏表のようで、くすぶって自分の中にあった。けど、それがなんだばかばかしい。そう思っているうちに歳をとって、もっと早くやればよかったと後悔するんだ。ちょうど今朝、北村紗衣さんの「下手でもやる気があるならやっていいのがパンクという音楽」という趣旨のツイートを見た。私は音楽はわからないけれど、下手でも手書きで書いちゃったらいいじゃん、と始めたのがZineだ。

 もう一つは、働き始めて愚痴ばかり言っている自分に危うさを感じたから。7月から8月はお酒、Youtube、カラオケでストレスを晴らし、いってもたいした額ではないけれど散財していた。
「きょうこんなことがあって」という電話に、私の母は痺れを切らし「いつまでも同じこと言い続けるよ」と少し叱った。そう言われたとき、くたびれていつまでも愚痴を言い続ける自分が想像され、ぞっとする。そんな折、古本屋めぐりで買った穂村弘の『整形前夜』にこんな文を見つけた。

 若い女性たちの場合も、東京でひとり暮らしのOLをしている人々は、みんなぎりぎりの毎日を送っているようだった。(中略)

 普通に真面目に働き続けると必ず「絶望」するということに気づいてから、私はどこかで流れを変えないといけないと思うようになった。(穂村弘普通列車「絶望」行」『整形前夜』pp.42-43)

 このエッセイには、穂村弘自身が見た会社員の姿と、「いっぱいいっぱい」になった知り合いの女性が出てくる。学生のころなら読み飛ばしていた部分が、きりきりと迫った。それから妙に焦り、私もこの「流れ」を断ち切らないといけないと思い始めた。

お酒もYoutubeも楽しいし、別にいいと思う。昨日だって居酒屋行って帰ってきてYoutube見てたし。でも何かを消費してはちょっと元気になり、また鬱々と仕事に戻っていく自分がなんだか嫌だった。気持ちを晴らすなら何かを作る方向でやってみたい。それすらも「クリエイティブ」がもてはやされる社会に乗っかっているだけかもしれないけれど。

 

 Zineを作るのは面倒くさく、怖い作業だった。レイアウトを考え、ブログからZineに載せる文章を選び、短歌と写真を組み合わせてつくり、新たに文を書く。昔書いた自分の文章を校閲・校正する。これがZineになり、完成したらもう変更はきかないのだと思うと緊張した。SNSだったらすぐ編集・削除できるけれど、本やZineはできない。最近感覚が鈍っていたけれど、自分が考えたことを人の目にふれる形で出すということは、インフルエンサーや文筆家と比べれば影響力がうんと少なくても、責任あることなんだと思った(本当はSNSもそれくらい考えて書くべきなんだろう。拡散の速さは本/Zineの比ではないのに、その感覚が鈍るから不思議)。

 なにより、見てほしいと思う人がいるので、既に読みたいと言ってくれているその人に渡すつもりで作れたのが楽しかったのかもしれない。

Zine『これってなんでだろう?』

完成したzine。製本したものと手書きのもの。