ひとり映画日記2

映画・本・イギリス(アメブロ『ひとり映画日記』から引っ越し

高速回転からの投げ出し 『ボーはおそれている』感想

 アフター6ジャンクションでは、「ボーはおそれているを観に行くか、ライムスターの武道館ライブに行くか、あるいは両方か」と話していた(公開日とライブの日が同じだったのだ)。(何も知らずに観たい人は以下読まないで)

 

 2月はライブもだが映画にさえ行けず、1か月ほど経ったいまようやく観ることができた。休日に3時間も観る体力はないし、こういうのは仕事が終わって脳がカッとなっている時の勢いで観るのがいいのだ。

 そう思って駆け込んだが、もう疲れた。最後は脚がパンパンになっている気がした。主人公のボーが実家に帰ると恐ろしいことが起こるという話だと思っていたが、実家に行くのはむしろクライマックスで、それまでに色々なことが起こる。まず、そこら中でケンカや殺傷が起きているような一帯の、好色の館などというアパートにボーは住んでいる。館内は卑猥な落書きだらけで毒グモもいる。そこで、突然「音楽の音量を下げろ」というメモが投げ込まれたり、水道が止まったりと不可解な現象が続く。このあたりの場面は怖く、不愉快で、よく不快な展開ばかり思いつくなと思った。ホラー映画は、自分が何を不快だと思うかが炙り出されていくので恐ろしい。

 そして、ボーが母の死を電話で知るところで恐怖はピークに達する。母がどのような状態で発見されたのかが言葉だけで描写されるが、それがおぞましいのだ。『ミッドサマー』みたいに急に映像で見せてきたらどうしようかと思った。でも、電話というシチュエーションと言葉の描写だけで恐ろしさは十分伝わるのだ。

 

 正直、ここから先は怖くなかった。展開はまったく予想がつかず、驚きの場面の連続だ。でも詰め込まれすぎており、話がなんだか分からなくなっているように感じた。轢かれたボーを助けた謎の医師や、そこから逃げ出したボーが出会う劇団など、不思議なところは多いのだが。終盤はあまり面白くなかった。

 詰め込んでいても面白い映画はある。好き勝手やっていて、脚本も設定も粗があって、なんなら映像もひどくたって面白い映画はある。話が理路整然としていないからとか、伏線が張り巡らされていないから面白さが半減するということではない。むしろ『ボーはおそれている』は映像もセットもしっかりしている。けれど、ホアキン・フェニックスの演技以外に魅力を感じなかった。エンドロールを観るまでホアキンが主演だということを忘れていた。この人がジョーカーを演じて、NYで踊っていたとは信じがたい。苦しそうな演技など見事だった。

 

 配信で観たら途中で集中力が切れていただろうから、映画館で観てよかった。ラストも、へーって感じ。体感としては、手をつかまれてぐるぐる回され、回っている間は楽しいけれど、手を掴んでいた相手が「じゃっ!」って急に放して帰ってしまう。こっちは地面に投げ出され、今の遊びはなんだったんだろうと思う。そんな映画体験だった。

全てがボーの心象風景だと言い切ってしまえばそれまでだけれど。私の大学の時のカウンセラーなら、「メンタライジングが落ちている」と言うと思う。ボーはとにかく不安だ。でもそれ自体はおかしいことではないと思う。母のことがなくとも、この世界は怖い。