ひとり映画日記2

映画・本・イギリス(アメブロ『ひとり映画日記』から引っ越し

親からの自立 2024.05.12

 人は自分の思うとおりにはならないと、一番初めに自覚したのは親に対してである。

 

 ずっと仲が悪かった父親と、今日2人で飲んだ。私の人生の前半は父が、10代中頃からは私が互いに相手と距離をとろうとしていた。なぜ親は私の期待する行動をとってくれないのか、なぜ家だけ「こう」なのか。どうして、という不満が積み重なり、果ては「毒親」についての本を読むところまで行き着いた。

 

 それからフェミニズムを通じて「男性性」や家族社会学を知ったり、カウンセリングを受けたりして、やや距離をとって親の(特に父親の)ことを考えられるようになった。私がジェンダーセクシュアリティ研究に邁進したのも根底には父とのわだかまりがあったからのように思う。父と自分の関係がこじれた(と私の方は思っている)理由を知りたかった。

 そして去年、父と和解しなければいけない、と思って私から会話をもちかけ、少し氷解して、いまに至る。

 父との会話は噛み合あったり、合わなかったりした。ボクシングの話はけっこう盛り上がった。井上選手は凄いねなんて言ったりした。それからパレスチナで起きている虐殺やフェミニズムの話を出してみたけれど、あまりピンと来ていない様子。私の方でもじゃあ私は何を知っているというのだろう、知識をひけらかしたいだけじゃないか?と思って自制していた。けれど、自分が差別や戦争をなくしていきたいと思っていることを伝えた。それほど反応はなかった。父がどう思っているかはよくわからない。今言ったようなことをツイッターで呟けば、いくつかの「いいね」がくるだろう。でも、私はそれで通じ合ったような気になるより、一番「通じない」であろう人と話したかった。父と私の関心のある分野は違う。

 

ああ、私と父は違う人間なんだな。

 

 ずっと、自分は親の一部で、親は自分の一部のような気がしていた。そこから逃れられないから血縁は呪いだとも思った。でも今日、私は親とは違う人間であり、親も私とは違う人間なのだと、理屈ではなく「感じた」のだった。もう別々の道を歩いていて、わかったりわからなかったりするけれど、それでいいんだ。家族なら全て肯定し合わなければいけないと思っていて、それができないから辛かったのかもしれない。全て親の言うことの逆を行こうと逆らっていた時よりも、私は今やっと「自立」できたのかもしれない。

 

血そのものには両親の血は一滴も混ざっていないのです。だから、血族という言葉は嘘です。また、子供の肉には、両親の肉から取った部分はないのです。だから、肉親という言葉も嘘です。                 

多和田葉子『聖女伝説』ちくま文庫、2016年

 

『聖女伝説』のこの一節を読んだとき、私は血の呪いの言葉から解き放たれたと思った

(過去のメモから引っ張り出したため、どのページに載っていたかがわからない.....)。

親は一番最初に触れた「他者」だったんだと、ようやく私は理解した。